国民=有権者ではない

今日の参院選の結果は見ないで書いています。
しかしイギリスのEU離脱投票の時にも思ったのですが、選挙で勝ったんだからそれで決着は着いた、負けた側は四の五の言わずに言う事を聞け、という考えはどうも好きません。
2005年の小泉劇場郵政民営化選挙の際にも、自民の圧倒的勝利に見えてもそれは小選挙区マジックで実際には結構拮抗していたらしい…という事がありました。小選挙区というシステム上の問題は明らかであったのですがそのシステムを利用されてしまった。なのに自民の勝利という結果だけを持ってその後の政権運営にも反映され、民意を傘に来たやりたい放題が続いたのです。
このように、選挙とは単に結果としてどちらがより多く票を集めたかというだけでなく、その中身もよく見た上でその後の政治運営を考えていくべきだと思うのですが。得票数が少ない側にも、投票した人間は確かに存在したのに。民主主義=選挙=多数決、というのは短絡的だと思います。
大体、国民=有権者ではないと思うのですよね。イギリスでは年齢が下がれば下がる程EU残留に票を投じた人が多く、まだ選挙権のない17歳以下の若者は意思表示するチャンスすらないまま未来を奪われる事になってしまった。日本でも、今回の参院選から投票権が18歳以上に引き下げられましたがそれでも17歳以下はまだ投票権が無い。まだ選挙権を持たない若年者もまた国民である事の意味を、もっと重く考えるべきではないでしょうか。投票した人だけが国民ではないですよ。
じゃあ年齢をさらに引き下げればいいかというとそういう問題ではなく、選挙権が無い人間も含め広く国民の利益を考えるべきだと思うのです。若者が投票に行かないから若者のための政治ができない、だからもっと選挙に行け、という発言もよく聞きましたが、うーん。間違ってはいないのでしょうがどうもすっきりしません。本来政治家は全体の奉仕者であり、投票しなかった国民の利益もまた考慮すべきだと思うからです。政治は自分に投票した人に対するサービスではなく、もっと先を見据えた広い視野を持って行うべきだと思うのです。たとえ理想論にすぎなくとも。
それに、たとえ大多数が反対したとしても、それが正しい事であれば敢えて断行すべき政策もある筈です。夫婦別姓同性婚がそれに当たりますが、たとえ無関係の人達がどんなに反対しようと、それを望む当事者がいる以上は認められるべきなのです。多数決が必ずしも正しい訳ではない。民主主義は多数決のみにて運営されるにあらず。