雨宮まみさん
普段あまり、人の死について触れる事はありません。詳しく知らないのに下手に触れても却って失礼なんじゃないかなと思いますし。
ただ雨宮まみさんについては、その死はとてもショックでした。
彼女の書く文章の全てを読んだ訳じゃない。それでも基本的にとても共感できる文章だと思っていた。等身大で優しい目線で、落ち着いた、温度の低い文章で。ポジティブさを無理に押し付ける事もなく人の負の感情もありのままに受け止めて。そんな彼女の文章が好きでした。個人的な付き合いがあった訳でもなんでもないけれどTwitterを見ていてもある程度、信頼のおける人柄だと感じていました。
『こじらせ女子』という言葉も、他の人によって曲解されたけれど少なくとも彼女が使っている限りにおいてはあくまで自分自身をみつめた、他人への攻撃性のない言葉だと思っていたので不快感はなかった。
彼女は喪女ではなかったんだろうけれど、喪女マインドの分かる人だったと感じている。マウンティングや上から目線を感じず自然体で読めて好きでした。
マイナビニュースの連載。
『ずっと独身でいるつもり? 70 独身でも、私は私』
http://news.mynavi.jp/series/dokushin/070/
この連載も好きでした。あまりにも共感できる事がありすぎて。この最終回が2013年12月31日。もう三年近くになるのですね。三年近く経って、独身女性に対する世間の風潮が好転したかと言えばその逆で。独身女性に対する卵子の老化煽りもますます酷くなり、リベラルやフェミニストすらも「子供を産み育てやすい社会に」という方向の主張ばかり。この連載の中で雨宮まみさんは三十代以上の独身女性、それも「結婚したくない人」ではなく「結婚したいけれどできない人」に対する世間の無神経な声を多数取り上げています。そんなの気にしなければいい、というのは簡単ですが、気にせずに生きるのは無理だと思います。
世の中、「結婚したくない、そもそもする気が全くない」女性をエンカレッジする文章はそこそこあります。創作物においても「恋愛ものなんてくだらない」「恋愛要素が薄い作品が名作」という空気が支配的ですし。フェミニストから受けるのもマッドマックス怒りのデスロードやリブート版ゴーストバスターズのような、恋愛要素の無い『男に頼らない自立した女』路線のものばかり。でも、恋愛や結婚を「したいけれどできない」女性に対しては、男性からだけでなく女性からの視線も厳しいのですよね。
『ずっと独身でいるつもり?1 結婚できないのは自分に問題があるから!?』
http://news.mynavi.jp/series/dokushin/001/
連載の第1回目。2012年7月31日の記事です。ここには『もちろん、結婚したくない人が独身であることに理由を探す必要なんてありません。でも「結婚したい」と思っているのに「できない」場合、「なぜできないのか」という理由を、周りは探します。』とあります。
これは本当にその通りなんですよね。同じく独身である事を叩かれる三十代以上の女性でも、自分の意思で「結婚したくない」と思っている場合には「独身で何が悪いの!」と、胸を張って言える。しかし「結婚したいけれどできない」女性の場合には本当に肩身が狭い。
『雨宮まみの“穴の底でお待ちしています”』
http://cocoloni.jp/scategory/anasoko/
この連載も好きでした。ネガティブな愚痴を否定する事もなく上から目線で同情する事もなく真摯で優しい態度で受け止め、かと言って肯定一色ではなく、時には厳しい事も言う。通り一遍のポジティブさや説教で誤魔化すコンテンツが溢れている中、雨宮まみさんのこのコラムは驚く程に真摯です。こういう真面目な人だから疲れてしまったんでしょうか……、ついそう思ってしまいました。
『「真央ちゃんに嫉妬してる」 雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第2回』
http://cocoloni.jp/culture/28506/
これも凄いですよねえ。嫉妬という負の感情を否定しない優しさ。『嫉妬心の強さは、そのまま、感情のエネルギーの強さです。』なんて、そうそう言える事じゃない。
『「コミュニケーションが下手すぎる」 雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第5回』
http://cocoloni.jp/culture/32336/
この回の悩みも私の悩みに近い。精神論ではなく具体的な方法論で回答しているのが凄い。
この文章を読んでいても、雨宮まみさんは本当に真面目な人なのを感じる。そんな真面目な人には不利な世の中なのを痛感する。
実際のところ、雨宮まみさんがどういう心情だったのかは分かりません。ただ、年の近い独身女性として私は「死にたい」という気持ちが分かる。日本で独身女性をやっていると誰も味方のいないような世の中で、生きていて何になるのか。生きるよすがに成り得る娯楽も若年層向けが多く、年々付いていけなくなってきていますし(新作が自分に合わないだけならまだいいのですが、過去の名作が続編やらリメイクやらで改悪されて思い出すらも汚されるので安心して楽しめないという。本当に嫌な時代になりました)。
死んだ後に叩かれたとしても自分自身はそれを知りようがないので、生きたまま辛い思いをするよりはいいのかもしれないと。
何が辛いって、男から叩かれるのは勿論として、女性も女性の味方になってくれないという事実ですね。私もフェミニストを自認しているけれど日本のフェミニストには何ら希望が持てません。彼女達も所詮『少女(若い女性)』と『母親』以外の女性の不遇に対しては冷淡だから。
「キモくて金のないおっさんは救われない」という理屈は、女性からは叩かれても男性からは一定数支持を集めました。しかし何故か同様の立場にある女性の救済を訴えても女性の支持は得られません。珍しく独身非正規中年女性の貧困を扱った新聞記事のブクマは2桁しか伸びず、Twitterフェミニストの間でも殆ど話題になっていなかったのです。
『非正規シングル中年の女性たち、見えなかった実態』
http://www.asahi.com/articles/ASJC13R1NJC1UTIL00X.html
『子供の貧困』にはあんなに騒ぐのに(それが悪いとは言っていません)。自分達も独身であり、また男と結婚するつもりのない女性ですら、何故か自分達の未来の姿であるだろう独身女性の貧困よりも『子供』や『母親』の問題にばかり注視するという不思議な現象。
本当の彼女は必ずしも不幸ではなかったのかもしれないけれど、そこに至るまでの様々な抑圧を思うとただ「ありがとう」だなんて私には言えません。理不尽さや怒りや悲しみをなかった事にして、ただ綺麗な思い出にする気にはなれない。
繰り返し言いますが、雨宮まみさんの実際の心情は分かりません。ただ年の近い独身女性として、私は死にたいと思うし誰も味方がいないと感じる。それでも雨宮まみさんの過去の文章には本当に共感できるし、沢山あるその文章を読むと少しは癒されるのですが。