チェルノブイリと福島

チェルノブイリの時は、今の日本みたいに、ソビエト人民が一括りにされて外国から叩かれるなんて事はなかったと記憶しています。少なくとも日本では、ソビエト人民、ウクライナベラルーシの人々を悪く言う声なんて聞きませんでした。同情はしても。
チェルノブイリの人々は何処まで行っても純粋な被害者のイメージしか持たれない。純化された聖性のイメージ。健康被害は大きかったにしても、生きていく上であくまで綺麗な、犠牲者としての立場にいられる事はある意味では幸せな事ではなかったでしょうか。
対して福島においては原発を受け入れたお前達にも責任があると叩かれ、差別され、結婚を断られいじめや暴行を受けと散々です。
何か、強姦されて殺された女性は聖なる被害者として崇められ、強姦されて生き延びた女性は穢れた女として蔑まれる、そんな構図を思い出した。