「たかが電気」じゃなく「たかが音楽」

来年の大河ドラマの『八重の桜』は割と楽しみにしていたのですが、テーマソングが坂本龍一と言う事でがっかり。
彼のファッション脱原発運動には心底幻滅しましたから。
「たかが電気より命」ってものすごくおかしな言い回しだと思います。命と電気は二者択一的なものではないと思います。命を生かすための手段としての電気でしょう。「たかが電気」の電気を水や空気や食べ物に入れ替えてみれば理屈のおかしさが分かると思います。そりゃあ昔のような自給自足体制に戻れば、電気がなくとも生きていけるかもしれませんが今更それは無理ですよね。少なくとも大量消費社会で稼いでいる坂本龍一氏が言う事ではないと思います。真意は違ったと言われても、軽率な発言である事に変わりはない。
たかが、という言葉は電気よりは音楽にこそ相応しいと思います。NO MUSIC,NO LIFEなどと言ったところで、実際には音楽などなくとも人は生きていけます。そういうたかが娯楽の産業に多大なお金が動き、たかが歌手や作曲家が何億も稼ぐのはおかしな事だと何故誰も言い出さないのでしょう。ミュージシャンなんて世の中の役には立っていません。いなくなっても代わりはいくらでもいますし誰も困らないのです。