非実在青少年

何か東京都の非実在青少年条例とやらが話題になってますが、結局そんな条例実現される事はなく、この今の野放し状態は変わらないんだろうな。
表現規制反対派の言い分の、二次元は三次元とは違う、ただの絵だ、ただの紙だっていう理屈が嫌いです。
あのキャラは俺の嫁、私の最愛、三次よりも二次が至高、そう主張していたのではなかったんですか?
俺の嫁、最愛と言いつつ、ただの紙だからただの絵だから許せって……随分と薄情じゃないですか?
キャラクターに思い入れを持ち、一人の人格として愛するのがオタクじゃないんですか?空想のキャラクターに人格なんてないとは、随分と冷めた冷たい物言いです。
大切な恋人を奪わないで下さい、くらい言えばいいのに。
そもそも、現実に対して何の影響も与えない、ただの娯楽としてのみ消費される作品にどれだけの意味があるんだろう。勿論娯楽は大事ですけれど。消費して終わりであってほしくはない。そこから考え、現実を生きる時にも反映されていいと思う。漫画から愛や友情の素晴らしさを学んでも、現実ではそんなの関係ねぇ!としてしまう人ばかりの現状が悲しい。
フィクションの作品とは、作者がテーマを込め、読んだ人々の心を動かそうと思って作るものなんじゃないんですか。
それを現実に影響与えないものだと断じてしまうのでは、その意味がないと思います。
例えばひぐらしのなく頃に。主人公やその仲間達は罪を犯すけれど、真に伝えたいのはその惨劇を未然に防ぐ事。仲間に相談する事。
例えばバトル・ロワイアル。凄惨な殺人描写はあるけれど、真に伝えたいのは友情の尊さであり、体制に負けず自分の意思で自由な生き方を貫く事だった。
作者は現実に影響を与えたくて物語を描いた。少なくとも私はそう思っています。
中学生が人殺しをする作品が犯罪を助長するとの声から作品を擁護するならば、その正しいテーマを語る事によって反論すべきであり、ゲームやアニメから影響を受ける奴なんていないという理屈のみでは、作品の存在意義をも否定する事になると思います。
ていうか十年前と比べても、今の日本のフィクション作品って似たようなものばかりでつまらないと思いますよ。ただのゆるい日常ものが氾濫しすぎなのとか、つまんない。絵柄も似たものばかりで区別がつきにくい。より売れるもの、受けるものばかり目指して、多様性もテーマも何もないものが多すぎる。何もかも人気重視、売上重視で、作品ではなく、純粋に商品となっている事が多すぎると思います。
そればかりか「嫌なら見るな!」と言いながら、人を不快にする表現を垂れ流している人が多いですしねー。何かもう嫌です。規制されればいいのに、と思いますよ。

と、書いてるうちに廃案になったらしいですね。結局今のままの野放し状態が続くのかぁ。はぁ。