世界があなたを許さなくても、私はあなたを許します。

ひぐらしのなく頃に』の中の言葉ですが、美しい言葉だと思います、とても。しかし現実にはあまりにも難しい。多分現実にこんな言葉を発したら、あちこちから批判されるに決まっている。被害者遺族の気持ちを考えろとか亡くなった人の事が浮かばれないとか。
震災とそれに伴う原発事故でも、今現在の台風による水害でも。行政の不手際を責める事ばかりに熱心で、実際困っている人達を助ける事や亡くなった人を悼む事には目を向けない意見が多過ぎではありませんか。これはテロでも戦争でもなく、悪意を持って人が人を傷付けた訳ではない。誰かを悪者にして攻撃して、それで事態がよくなる訳ではないのですから。起こってしまった事態が既に最悪なのであって、それを未然に防ぐ事が出来なかった以上、起きた事態に対し完璧な対応なんて出来ないと思います、誰にも。
風の谷のナウシカ』で、敵国トルメキアのクシャナを赦し汚れた世界で懸命に生きる主人公達の物語を描いた宮崎駿が、短絡的な反原発を語ったのはとても悲しかったです。彼に限らず、多くのクリエイターや芸能人が政治について語りますがその内容は彼等彼女等が作り上げてきた物語の中でのテーマとはあまりに違う。仇を赦し敵国の人間と手を取り合う、何らかの魔物やウィルスに侵された相手を抱き絞める。そんな物語は溢れているのに、実際には穢れを恐れた感情的で差別的な反原発嫌韓発言の数々。現実は漫画やゲームのようにはいかない、そういう事なのでしょうけれど、それでも残念に思います。そもそも文化なんて生活に余裕があってこそのものだとは思いますが、そこに矛盾は感じないのでしょうか。
twitterでの福島県知事への罵倒や菅直人前内閣や野田新内閣の面々に向ける批判を見ていても思いますが、日本の政治批判は本当に属人的ですね。その人の言動を批判し良くなって欲しいと願うのではなく、人そのものを攻撃し否定する(いや、日本に限らないのかもしれませんが)。だからトップの首を挿げ替えれば良くなるなんて発想が生まれて、結局その結果何も変わらないんじゃないでしょうか。建設的な提案ではなくただの罵倒や個人攻撃にしか見えない意見が多過ぎると思います。
私は野田新内閣をとりあえずは否定しません。今更文句言っても仕方がありませんし。なるようになれと考えるしかないです。