しない方がいい努力だってあると思わざるを得ない

あーあーあー、まーた面接落ちましたよ。やってられないです。筆記もあったので交通費無駄に使っちゃったなあ…。
何度も受けていればいつか必ずどこかに受かるというならともかく、そんな保証は何処にもない訳で。
そもそも落ちた理由は顔や年齢にある可能性が高く、面接の際の受け答えを磨けばそれで受かるとはとても思えないっていう。やってられません。
これがもしアイドルや女優を目指してオーディション受けて落ち続けるのだったら「無駄だからやめろ」という声が多いでしょうに、何故こと一般社会人としての就職活動だけは何度失敗しても諦めずに続ける事を強いるのかなあ。芸能人だって一般企業の女性社員だって、顔採用なのは同じなのに。非効率じゃないですか。せめて交通費くらい必ず出してくれるのならいいですが、そうでないなら無駄に費用が嵩むだけです。家で寝てた方がいい。

しない方がいい努力と言えば脱原発デモ。これは本当に報道を見るだけでうんざりして嫌になります。
デモも時と場合によっては有効だと思いますし肯定しますが脱原発デモは無駄なだけでなく有害だと思います。デモは社会参加であり声を上げる事はとりあえず良い事!という持論を持つ左翼の人達は、在特会の排外主義デモなども肯定なさるんでしょうか?疑問です。
政党や団体だって、使える時間も人手も無限ではありません。脱原発という絵空事に係りきりになる事で、とっくに解決できた筈の問題をどれだけ先延ばしにしてしまったのか。
何故日本社会は結果に繋がらない努力は賛美し、やれば何とかなるかもしれない努力は無理に決まってると諦めてかかるのか。脱原発よりも容姿や年齢による諸々の差別をなくす事の方が、本来ずっとずっと簡単な筈。でも何故かそうはならない理不尽さ…。
解決可能な問題を、しょうがないと諦めてしまうだけならまだ理解できる。だがそこに可能不可能な問題は諦めないというのがセットになると凄くおかしい。何なんだろう日本のデモ。アメリカやアラブのデモとは明らかに違うと思う。

もう死にたいですが。自殺したいですが。苦痛の無い自殺方法も見付からないので無理か。ただ何となく生きて、世界の日本の行く末を少しでも長く見届けてやるのが目標だとでも思えばいいのかなー。
ただ自殺する人を止めようとは思わないです、特に若い人は。こんな国で生きていてもしょうがないから死ねてよかったねーくらいの感慨しか湧かないです。