同調圧力というマジックワード

私が同調圧力という言葉を初めて見たのは海外ニートさんのブログだったように思うのですが、震災以降この言葉の使われ方が変わったと思います(いや、以前からかも)。
この言葉を初めて見たのはサービス残業の強要や有給休暇を取るなという圧力、お客様至上主義を批判する際に使われる文脈の中でです。苦境に立たされる労働者を救うための、「同調圧力」批判である筈だった。
だから「同調圧力」批判によって守る対象は福島で米を作る農家であり宮城で魚を獲る漁師であり岩手の沿岸で暮らす被災地の人々である筈だったと思います。
それが今じゃどうなんです。「絆という同調圧力で瓦礫を拡散するな」「食べて応援などという同調圧力」「福島県民は同調圧力があるから避難出来ない」などと、被災地の弱者を叩き都会の消費者のエゴや著名人の悦楽を追求するためのマジックワードになっている。これには絶望しますよ。
最近はすぐに同調圧力って言い過ぎじゃないかなぁ…気に入らない相手を叩く時に、とりあえず同調圧力と言っておけば上に立った気分になれるという。
自主避難者や子供にお弁当を持たせる母親達は、果たしてそんなに辛い目に遭っているのでしょうか。
脱原発派の言う「同調圧力」はサービス残業しないと首になるとかそういうのとは全然違うと思います。別に不利益がある訳じゃないですから。どう考えてもただの被害妄想っぽい。
農家は他の仕事を(なかなか)選べない、消費者は産地を自由に選べる。この非対称性から行って両者の力関係は明らかな訳ですが、にも関わらず後者が前者を批判する際に同調圧力という言葉を使う。本来弱者を助けるための理論だった、同調圧力批判が強者の弱者への暴力を正当化するために使われる。辛いとても辛い。
しかしこう思うと海外ニートさんは放射能についてあれこれ語る事なくブログを閉鎖してくれて有り難かったのかも…いいイメージだけ残してくれましたから。いや、私の知らない所で語っていたのかもしれませんが。