「脱原発」は手段であって目的じゃない

原発のない日本に」という言葉をまるで「戦争のない平和な世界に」というのと同じような調子で使われるのを見て、すごく違和感を覚えました。
原発は労働者に苦境を強いて、事故が起これば周辺住民にも多大な迷惑をかけるからやめるべき、ってのは分かるのですが。それは人々の幸福な暮らしを脅かすものだからであって、原発がない事そのものを理想のように扱うのは何かが違うと思います。戦争のない世界を求めるのとは違うと思う。現在の脱原発運動は手段の目的化っていうか…よくない兆候だなーと。
そして現在脱原発を語る人の多くが元来平和主義者の左派なのもあって(だが民主党憎しのネトウヨにも多いので必ずしも脱原発派=左翼って訳でもないんですが)、それに懐疑を持つ人々が反戦平和運動まで否定的に見るとか、困った状況だなーと思います。原爆と原発は単純に同一視できないし、反戦運動と反原発運動も違います。その筈です。
反戦運動脱原発運動は違うと思うのですがね。戦争は人間の意思で回避できるけれど放射能はそうではない。違うものを同一視しているのは脱原発派もそれに反発する側も同じだと思います。