発達障害についてはまず概念そのものを疑った方がいいのではないか

今日4月2日は世界自閉症啓発デイだそうな。
しかし知的障害のある方はともかく、知的障害を伴わないいわゆる「発達障害」についてはそもそも概念を疑った方がいいのではないかと思うのですが。
発達障害」について変に「理解」されても困るなあというのが正直な所。
おかしいのは過度のコミュ力を要求される社会の方だという、発想の転換も必要なんじゃないかと思いますよ。だって昔は今で言う発達障害に分類されるような人が問題なく社会生活を営んで、それどころか優れた業績を残していたりするんですから。
寧ろいわゆる発達障害の人は通り一遍の仕事よりも知的な仕事や創造的な仕事に向いていて、良きにしろ悪しきにしろイノベーションを起こせる可能性を秘めていると思うのですが今の社会はそういう人々を弾きだすばかりか無理に矯正して人並みにしようとしているみたいで、物凄く勿体ない損失を生み出しているんじゃないかと思いますよ。コミュ力はないけれど人とは違った発想が出来る、集中力がある、思考力がある、これって立派な長所なのに。金の卵を台無しにしているような残念感。しかもそれを良い事だと思っているから救えない。
職業訓練とかもその幅が物凄く狭いですしね。政治家になろうとか芸術家になろうという教育は行われない。

個性の範囲で済まされる人間を発達障害といって障害認定してしまう事は、肌が褐色だから障害だとか、髪がカールしているから障害だと言っているのに等しいのでは?目が見えて耳が聞こえる、手足も動く、学力も高い、そういう人間を障害者認定する社会の方に問題があるとは考えないのでしょうか。
労働者に画一的な笑顔を押し付ける企業の在り方は、社員全員を意図的に金髪碧眼で統一するような薄気味悪さがあります。
発達障害には「障害じゃなくて個性」という言葉が当て嵌まると思う。なのに障害者認定する事が該当者のためになっているという勘違いした人権意識がどんどん広まっているのが嫌だなあ。