これだから、子供相手の仕事を敬遠する人が増えるんですよ

宮城県東日本大震災の際に幼稚園の不手際で子供が死んだと訴えて、高額の損害賠償を求めた裁判(しかも複数あるらしい)が原告勝訴だと聞いて、凄く怖くなりました。
こういう親がいるから子供を相手にした仕事を敬遠する人が増えるんだろうなと思いました。産婦人科とか小児科とか、絶対やりたくないなーと思いました。何かあったらすぐ責められて大金要求されるんじゃ怖いですもの。

1000年に一度とすら言われる、あれだけの大災害において、死んだのはその子達だけじゃなかったでしょうに。何故自分達だけが被害者であるかのような発想が出来るのか分かりません。同じ地域に住んでいるのだから、その幼稚園の教諭だって家族、子供を亡くしている可能性もあるでしょうに。みんな同じ被災者だと思って、同病相憐れむ気持ちにはなれないのでしょうか。もし震災時に自分の子供とは離れている職員がいたとして、その人に対して自分の子供の事は忘れて職場の園児の為に尽くせと命じる事はあまりにも非人間的ではないかと思います。
しかも福島の親が放射能でパニックになるのはまだ分かるけれど、女川原発が持ちこたえ原発事故のなかった恵まれた宮城で。
これがモンスターペアレントってやつかぁ…と思いました。この親達には他の犠牲者の姿は見えていないのでしょうか。

ただの幼稚園の職員に1000年に一度の大災害でまでも滅私奉公を求める姿勢は、まさに「お客様は神様」思考のモンペだなぁとしか。幼稚園の職員は自衛隊員でも警察官でもないのに、どこまで要求するんですか。子供を助けて死んだら美談かもしれないけれど、やって当然という思想は恐ろし過ぎる。
震災の際の自己犠牲も、冷静な行動も素晴らしいかもしれません。でもそれを全ての人々に要求するのは理不尽だと思います。英雄は滅多にいないからこそ英雄なんじゃないんですか? 
確かに過失はあったのかもしれない。でもあれほどの災害であれば過失は差し引いて考えてもいいのでは?と思いました。園長は人間性に問題がある人だったのかもしれませんが、それにしたって緊急時のパニック行動に対して厳し過ぎる。

さらに怖いのは求めているのが金銭だってことですね。幼稚園を恨む気持ちは分からないでもないですが、どうしてそれがお金を要求する事に繋がるんでしょう。死刑を望む方が、まだ心情的には理解出来ます。
犯人を殺しても死んだ人は帰って来ないというのは定番の言い回しですが、お金を貰っても死んだ子は帰ってこないのは言うまでもなく…。
こういう物語を小説やゲームで書けないかな、と考えてみたけれどやっぱりこれじゃ話にならないなと思いました。「金の亡者になっているお母さんを見て、死んだ○○ちゃんが喜んでいるとでも思うんですか!」って当たり前過ぎる。殺された子供が加害者を恨んでその死を望む事はあるかもしれないけれど、自分の母親に大金を与えろなんて望む訳がないですし。復讐に加害者の死を望む遺族なら同情されても加害者からお金をむしり取ろうとする遺族では物語として面白くならないと思いました。