「少年犯罪は凶悪化していない」……で、だから何?

「少年犯罪の凶悪化」に対して、データをもって「昔の方が少年犯罪は多かった。昔の方が残忍だった」と反論する声が大きいですが、たとえ少年犯罪の数そのものが少なくなったとしても、それと個々の犯罪に対する対処は別の話では?そこを勘違いしている人々が多い気がします。
全体ではなく、個々の事例を見るべきでは?マクロだけでなくミクロを見るべきではないかと思います。人間の命は単なる数字じゃない。殺された人にとってはそれが全てなのだから。
刑罰は犯罪の抑止の為でなく、既に起こってしまった犯罪にどう対処するかの問題ではないでしょうか。犯罪抑止は刑罰ではなく社会政策や経済、教育問題や事前の防犯、パトロール等から行うべきだから。犯罪を減らす為に出来る事は厳罰化以外に沢山あるでしょう。
(だから、死刑を廃止しても凶悪犯は増えていないという理屈も死刑反対の論拠としてはおかしい。死刑の不可逆性と冤罪の可能性を考慮して死刑に反対するなら分かるが。)
少年犯罪全体の数がどんなに少なかったとしても、その少数の犯罪を正しく罰する事は必要な訳です。0なら別ですが0でない限り、件数が多くとも少なくとも関係ない。少ないからといって対処が甘くていい訳じゃないと思います。たとえどんなにごくごく少数であっても、その少数の凶悪犯は無視してはならないと思います。少年犯罪の件数が多いか少ないか、で判断してはならないのです。
数が少ないから軽視していいという理屈ならば、例えば同性婚について「同性愛者は少数だから同性結婚を認める必要はない」という理屈になりますが、少年犯罪への『厳罰化』反対を唱える人達は大抵同性婚には肯定的ですね、何故でしょう?
どうも日本のリベラルの人っていうのは、こと年齢差別については鈍感な気がする。新卒至上主義への批判もあまり見ないし。フェミニズムについても結婚可能年齢の男女の違いはあまり問題視されていないように思えます。何故でしょう?男女平等を語るならば、婚姻可能年齢の均等化はまず第一に必要だと思いますが。
現状維持派は少年法廃止論を感情論と切り捨てますが、少年は未熟だ、かわいそう、更正の余地がある、……彼ら彼女らの言い分は、それこそ理性を失った感情論そのものでは?少年だから特別扱いすべきというのが感情じゃなくて何なのでしょう。
同一労働同一賃金。ならば同一犯罪同一刑罰であるべきでは?場合によっては情状酌量の余地もあるでしょうが、年齢がその基準になるとは思えない。
少年法の廃止を訴える人に対して「リンチをしたがっている」「私刑だ」と認定する人達がいますが、単に成人の犯罪者と同じように裁く事のどこがリンチなのでしょうか?現状、大人の犯罪者はリンチされているのですか?もし被疑者の扱いそのものに人権侵害があるというのならばそれは少年法ではなく全ての年齢において等しく改められるべきでしょう。
私は少年法は年齢差別そのものなので、即刻廃止すべきだと思っています。責任能力の多寡は年齢ではなく個々の犯人ごとに検討すればいい。更正の可能性を考えて対処するというのなら、一律に年齢で区切る意味はどこに?14歳でも(神戸の元少年Aのように!)更正の余地がないクズはいる。40歳でも60歳でも、情状酌量の余地がある人や更正の可能性が高い人はいる。いわゆる累犯障害者だって、中高年にこそ多いでしょう。
私は必ずしも厳罰化指向ではありません。状況を勘案した結果刑罰を軽減されて然るべき加害者は大人にだっている。年齢で一律に判断するのはおかしい。

ていうか『厳罰』っていう言葉もミスリードですね。厳罰ではなく適正化と呼ぶべき。犯した罪の重さに応じて成人と同様に扱う事は厳罰でも何でもない。
実名報道については冤罪の可能性がある以上、成人の被疑者の場合こそ改めるべきでしょう。少年だから実名報道しないという特別扱いはおかしい。