ブレンディのCMに対する反応を見て

牛を高校生に擬人化し『卒牛式』を行いその中で生徒達の末路が決められるというブレンディのCM。いやー本当に気持ちが悪くて嫌ーーーなCMでした!!ブレンディ絶対に買いたくない!と思いましたね!一年前のWeb限定CMに今更反応するなんておかしい、と言っている人もいますがその理屈が全く分からない。いいじゃないですか、一度世に出たものにいつ感想を書いたって。
ブレディのCM批判に対し、なぜか藤本弘先生の名作SF(すこし・ふしぎ)のミノタウロスの皿や気楽に殺ろうよを持ち出す人がいましたがやめてほしいですね。作品のレベル自体が全然違いますし第一単体で完結する漫画作品と商品の販促のためのCMでは目的からして違う、それを無視しては語れない。
そう、このCMが何よりも気持ち悪いのは男子高生が屠殺され肉牛となり女子高生が乳牛として「濃い牛乳を出し続ける」ストーリーをどうやら本気で「感動作」として描いているらしい事です。(サイトを見たらマジで感動作って書いてありました……。)ストーリーラインが同じでも、敢えて気持ちの悪いものを書いた問題提起としてならありだったかもしれません。でも商品のCMにしてしまった以上、このディストピアをまるごと肯定する構造にならざるを得ないんですよね。
牛の擬人化だといいますがもしそのまま牛でやったとしても感動作とは思えないです…。人間の食生活は生き物の命を犠牲にして成り立っているという意味での「感動」ではあるかもしれませんがこのCMが目指しただろう路線とは違うでしょう。そもそも主人公の女子高生が走りながら胸を揺らす描写などから、牛の擬人化と言いつつそれ以上の意味が籠められているのは明らか。それがとても気持ち悪い。
で、思ったのはよく表現規制問題に関して反対派界隈が言う、「これが駄目ならミステリーの殺人はどうなんだ」という反論。いやミステリーでは殺人は悪い事として書いてあるし、真相を解明するのが目的ですし、たとえ犯人に同情すべき事情があってもそれでも殺しちゃ駄目だってなってるでしょうっていう。たまに殺人犯が主人公の作品があっても、それでも殺人はやっちゃ駄目だという結末で終わるのが基本でしょう。例外がゼロだというつもりはないけれど、主流ではないのは確か。
主人公が正義の名の元に殺人を行うデスノートだって、最後は主人公の敗北で終わる訳です。この意味は大きい。
性犯罪だってそれが作中で肯定されているか否かで全然違うでしょうに。そういえば凌辱ものの漫画や小説のオチで加害者が逮捕され刑務所に行くなり被害者からきっちり復讐されるなり偶然事故に遭うなりの、因果応報がきちんと描かれた作品って見た事ないような。いや、あるところにはあるのかもしれないけれど多分主流ではないと思う。もし加害者がちゃんと痛い目を見る作品が主流だったら、性暴力ポルノ反対派の見る目も大分変わってくるのでは?って思いました。
創作物の中で同じ行為が描かれていても、その行為が作中で肯定されているか否定されているかで全然違う。違うものを同列に並べてはいけないと思います。
とはいえ、どうやら世の中には、作中で明白に『悪』として描かれた行為や人物に心酔するファンも少なくないらしい。……という事も、ネットをやっていて分かってきました。
例えばジョジョの奇妙な冒険DIOとか。「ネタとしてやってる」のかもしれないけれど本気でかっこいいと思って彼の行為を肯定的に語るファンが少なくないように見えます。まあジョジョならまだネタで済むかもしれないけれど作品によっては作中で『悪』としてはっきり否定されているキャラクターの行為を本気で肯定するファンが少なくなかったりする。偽善こそが最も許されざる悪であり、絶対悪は逆に清々しく素晴らしいと考えているような人々が最近とみに増えたように感じられる。そう考えると私が思う程に世の中は創作物の描写に対し「作中での扱われ方」を重視しないのかもしれない。それが怖い。