異性同士の絆は尊い(釣りタイトル)

マッドマックスの、二次創作的な妄想としてのマクフュリは実は好きなのですが。
でもこれはそんなに氾濫していないから安心して愛でられるのかもしれないなと思います。
もしこれでフュリオサが男だったなら、今程度のものでは済まなかったのだろうなと思います。フュリオサを男ヒロイン認定して所構わず自己解釈を披露する腐女子で溢れ、映画のフュリオサの強い部分はスルーしたまに見せたメンタルの弱い部分ばかりを拡大解釈してマックスに救われる和製英語としての「ヒロイン」に押し込めようという解釈が大手を揮う事になったに違いない。亡き妻を忘れないマックスが否定され、フュリオサを置いて去ったマックスが薄情ものと叩かれる事になったかもしれない。それに反論する側は何故か同性愛者差別者扱いされ、自由な意見が言えなくなったに違いない。考えるだけで怖いよ!うわぁ!
あるいはマックスが女だったとしても、「この二人の百合は公式だ」という声が大きくなり、そういう関係でないありのままの映画の二人を愛するファンは少数派になったのでは。
だからあの二人は異性同士で良かったと思わざるを得ないのです。
今や、創作物において「恋愛ではない絆」(マックスとフュリオサの関係を絆と呼ぶかどうかはともかくとして)は男女の間にしか成り立たないのではないか?他に一途に愛する恋人や伴侶がいようとも、同性キャラとの捏造恋愛妄想を止める事はできない。でも男女であれば恋人や伴侶が別にいればその存在によって他の異性キャラとの妄想は食い止められる。いや、男と女であっても年が大きく離れていたり近親者だったりすると危ない。原作では全くそんな関係でなくとも、何故かそこに性愛を見出されてしまう。年齢の釣り合う他人の男女の間柄でしか、恋愛や性欲を前提としない人間同士の関係性がそのままファンに受け入れてもらえる事はなくなっているのではないか。何とも逆説的な話で。
『同性愛は異常』なるレッテルの逆だ。
本来は同性間であろうと異性間であろうと、恋愛や性欲を含む関係もあれば含まない関係もあってしかるべきな筈なのですが。最近のファンは何故かそれが同性同士であれば恋愛や性欲の絡まない間柄であってもそのまま受け入れようとはせずに性愛認定し、否定する者を同性愛差別主義者扱いして叩く。
もちろん、恋愛よりもそうじゃない関係の方が尊いなんて本気で思っている訳じゃない。でも、原作でそういう関係じゃないからその通りだ、と素直に受け止められるという現象は、今のネット上においてはもはや年齢の釣り合う男女の間でしか成り立たないのでは?なーんて思ってしまいました。恋愛でない関係をそのまま愛でるも、妄想は妄想と割り切った上で二次創作で恋愛を楽しむのも自由。それは異性同士の組み合わせだけに許された楽しみではないでしょうか。