『きりこについて』(西加奈子)

西加奈子の小説『きりこについて』、ずっと気になっていたのですがようやく読めました。
主人公きりこが赤ちゃんの頃から、小学五年生で転換期を迎えるまでの描写は実によく出来ていたと思います。両親から可愛い可愛いと言われて育ったが為に幼い頃はブスだという自覚がなく女王様気取りのきりこ。思春期になって容姿カーストの強烈さを知って立場を失っていく。あるあるネタ過ぎて胸が痛いです。
それだけに後半がどうにも。リアルに描くとあまりに救いの無い話だから何らかの事件がきっかけになるのは分かるのですが、その内容にいまいち説得力がありませんでした。
きりこのご近所に住むちせちゃんがレイプされた時からの一連の流れが、どうにも。
ちせちゃんが相談に行った女性団体の描写が、あまりにも偏見で描かれたフェミニズム丸出しで現実のそれと乖離し過ぎだと思います。ちせちゃんが出会い系で男と出会っていたから自業自得という反応が返ってくるのが、あまりにもテンプレな古い女性団体像過ぎる。本が出版された2009年には既に、被害者がどういう女性だろうと性暴力は性暴力という意見が主流だったと思います。後々その構成員である押谷さんは抜けてちせちゃんの会社に入るのですが、団体そのものと和解する様子はないまま終わってしまいますし。「女性の人権なんてどうでもいい」と言いますが、レイプされた女性の訴えを聞くのも人権のうちですよ…人権というものを現実の生活と乖離したイデオロギーの問題に分離してしまうのは無知のなせる偏見だと思います。
株式会社ラムセスで働くAV女優・男優は本当にその仕事が好きでやっているのでしょうか。本心から誇れるのでしょうか。どうもそれは絵空事過ぎて説得力が無いように思えます。ちせちゃん個人は欲求のままにセックス出来る稀有なタイプなのかもしれませんが、そういう人はそうそういないのでは。そしてやっぱりレイプものAVの方が好まれる現実は変えようがないのでは。そもそもAVを観る男性はけして出演者を人間として「尊重して」いる訳ではないと思うんですけどね。AV女優を差別しているのはAVに反対する女性団体よりもAVを観る無数の男性達だと思う。ちせちゃんが望んでセックスした男性達も多分大半は彼女を「ヤリマン」と見下していたと思うのですが、彼女は気持ち良くなれればそれだけでよかったんでしょうか。セックスワーカーを自由な職業選択の権利として語るのが最近のフェミニストの主流のようですが、それって結局男性から「いいように使われて」いるだけのように思えてなりません。奔放な性行為に及ぶ女性は必ずしも自立している訳でも自由にしたい事をしている訳でもないと思います。
ていうかタイトルがきりこについてなのに、ちせちゃんがフューチャーされ過ぎだと思うんだ。ちせちゃん素晴らしい、ちせちゃん女神!こうた君を救ったのは結局はちせちゃん!みたいなマンセー描写が苦手です。
猫達を連れたパフスリーブワンピのきりこの様子は映像で見たいくらい素敵なんですけどねー。