「何が嫌いかよりも何を好きかで自分を語れよ」という言葉が嫌い。

「何が嫌いかよりも何が好きかで自分を語れよ」という言葉が嫌い。

嫌いで嫌いでどうしようもないものがあったらそれを予め表明する方が後々安全だし、お互い過ごしやすいと思うんですが。
ゴム人間だって、泳げないのを知らなかった相手に悪気無く遊び半分で海に落とされて溺れ死にするかもしれないじゃないですか。「好き」しか語らないっていう事は、そういう危険性だってある事なのに。
嫌いを表明する事はタブー、という今の風潮が嫌い。
私は自分が好きなものが嫌われていても、その事自体は何とも思いませんよ。ただ解釈が違うのは嫌。
そしてたかだか注意書きをするのを嫌がる心理が出来ない。注意書きをしないでおいて、文句を言われたら嫌なら見るなというのって、ただの自己中ではないですか。見る前には嫌なものかどうか分からなかったんですから。オリジナルならともかく二次創作でネタバレしたくないとか何それ。
食事する前に、苦手なものとかアレルギーのあるものとかありますか?と訊くのと一緒でしょう。
好きな食べ物だけを訊いた結果、アレルギーのあるものを食べさせてしまったらどうするんですか?カレーは好き、但し牛肉は駄目なので野菜カレーやチキンカレーやポークカレーのみね、って人とか。ピーナッツアレルギーとか卵アレルギーとか色々ありますよ。
イスラム教徒に豚をうっかり食べさせて大問題になった事件だってあったでしょうに。
世界的な宗教の決まりと、創作物の趣味を一緒にするなと言われるかもしれませんが。ベジタリアンが肉を食べたって、イスラム教徒が豚肉を食べたって、ヒトという種の身体の仕組み的に不適切な事ではありませんよね。でも食べたくない。でもそれは一般化されている。だったら創作物においても同じだと思うんですけど。
何かが嫌い、というのも一つの個性だし意見だと思います。「好き」しか認めない世界は狭いと思う。