男子高生とおばさん、ブスとイケメンが不可視化される世界

決して救われない社会的弱者「キモくて金のないおっさん」について語る
http://togetter.com/li/824984
「キモくて金のないおっさん」という言い方そのものがまずどうかと思うんですが(この場合のキモいとは外面の事なのか、それにしてもこの表現は当事者に対して失礼ではないのか)。それにしても色んな意味で反論したくなる文章だなーと。
経済的弱者は一部の人々からは男女問わず同情される一方で、政府や世間一般からは切り捨てられる側にあるのは男女ともに変わりない。「キモくて金のないおっさん」に特化して語る意味が分からないんですよね。しかもこの人達が槍玉に挙げているフェミニストはホームレスや非正規労働者などの経済的弱者の救済に関しては積極的に語っている人が殆ど。なぜ男性だけが無視されていると感じるのか意味不明。「ホームレスや自殺者は男の方が多い」と言ったところで、個々のホームレスや自殺者の男性を無視してもいいと言っているフェミニストはそうそういるとは思えませんし、それはそれとして全体として男の方が女より有利な立場にあるという社会構造もまた事実だと思うのですが。
ホームレスは男の方が多いと主張する割に、この手の男性達がホームレスの男性を助けようと積極的に動いている様子が見られない……「ノーベル賞受賞者は男ばかり」と同じで、男を一括りにして自説を主張する道具に使っているように見える。
非正規労働者の数は女性の方が多いですし、その待遇改善は同様の立場にある男性にもプラスになると思うのですが。
そして確か話題の発端は『難民女子高生』だったと思うのですが、その『難民女子高生』問題を何とかしよう!という意見に対し「キモくて金のないおっさんは救われないのか」と何故か突然言い出したように記憶しています。なぜそこでおっさん?男子高生ならまだ分かるがなぜいきなりおっさん?男性差別というのならせめて、女子高生と同様の貧困下であっても男子高生は対外的な華やかさに書けると判断されて注目され辛いという点について述べるべきでは?と思いました。書いている当人が「おっさん」だからなんでしょうか。弱い立場にある男性の中にも色々いるという事を考えもせず自分達と同じ属性だけが特に注目されて救われるべきだと当たり前のように思い込んでいるように見えました。
まぁ、『難民女子高生』に関しては私も疑問は覚えますよ。貧困で苦しむ女性は年代を問わず沢山いるのにわざわざ女子高生と括るのはその属性が持つ求心力を利用しているからじゃないのって思いますから。女子高生もいずれは歳を取り大人になっていくのにそしたら支援の枠外になってしまうのかとか。女っていう属性は(余程の事がない限り)一生変わりませんが、高校生なのは長い人生のほんの一時期ですからね。これが女子高生じゃなくて成人女性だったら注目は集めないでしょう。実際には歳を取る程体力も衰えて病気も増え、厳しい部分も増えてくるというのに成人女性の貧困は(シングルマザーを除いて)女子高生の場合に比べ同情されない。大人なら自立できるなんて間違いだと思いますよ。でも私がこういう反論の声を上げたところで、自称弱者男性の場合と違い注目はされないんだろうなとは思う。
ある人は「女の子は同情されるのにおっさんは同情されない」と語りましたが、『女の子』の対義語として『男の子』でもなく『おばさん』でもなく、何故かいきなり年齢も性別も異なる『おっさん』をピンポイントで持ち出すというのは最初の段階からして認知の歪みがあるのではないかと思いました。
女の場合、若い美人以外は母親という属性持ちにならないとそもそも議論の舞台にも上がれないような所がある。こういう状況そのものが、「キモいおばさん」は「キモいおっさん」よりも格段にハードな状況にあるって事だと思うんですが、自称弱者男性にはそれは見えていないらしい。
あ、ネット世論でスルーされがちなのは若い男子や見た目の優れた男性も、かな。「女は結婚すればいいから楽だよな」と言うなら「男も顔が良ければヒモになれるじゃん」「ホストが出来るじゃん」という反論が可能な筈なんですが、「女はイージー」と語る自称弱者男性は、若くて見た目の優れた男性の事は最初からスルー。
何か、今の世の中、女は若くて可愛いのがデフォルト、男は若くも美しくもないのがデフォルト、みたいにされてるなって思います。女子高生とおっさん、美女とブサメンが積極的に語られる一方で、男子高生とおばさん、ブスとイケメンはいないものという前提となっていて不可視化されている。まー実際、メイクや美容スキルの進歩によって女性の容姿レベルの平均は格段に上がる一方で男性はそうでもない日本では男女の容姿格差が凄い事になっていると思うので、ブスもイケメンも少数派というのは事実だとは思いますが。