女は弱し、されど母は強し(イヤな意味で)

女は弱し、されど母は強し。この言葉、昔は大嫌いでした。女をバカにするなって。
でも年を重ねて、震災と原発事故が起こった今となってはこの言葉は正しいんだと思わざるを得ないです。
強いか弱いかなんて、結局その社会でどういう位置付けにあるかの問題ですから。腕っぷしが強さの基準になる社会、計算力が基準になる社会、こみゅにけーしょん能力が基準になる社会。そして女の場合どんな時代においても例外なく、容姿がその基準となる。それに合致した者だけが男に選ばれ子供をもうける。そりゃぁ当然、母になれない女よりも母は強い訳です。強いとはみなされないでしょうし。
少女でもない独身女性が何を言っても聞き入れてもらえないのならその女は『弱い』事になるし、子供という存在を錦の御旗にして振り翳す若い母親は確かに『強い』のでしょう。
私は弱いですよ。どんなに頑張っても。どんなに叫んでも。悔しい。


放射能による自主避難者にも補償をという訴えをきいて呆れました。
お金が無制限に沸いて出てくる訳じゃないんですよ?
子育てには予想外の出費なんて付き物じゃないですか?子供が急に重病になるとか浪人するとか私立に行くとか、予想外にお金がかかる自体はいくらでも想像できるでしょう。原発事故だけが例外だと思っているんでしょうか。交通事故に遭って死んだ子だって、食中毒で死んだ子だって、予想外の理不尽な事故ですよ。そんなふうに突然死んでしまったのとは違って、子供が元気で生きているなら引越しの費用くらい安いものじゃないですか。
しかも、この格差社会において結婚、出産なんて特権階級の贅沢でしかないのに、その贅沢を享受している女達がもっともっとと要求する様は醜いと思います。何が母の愛だ。子供の為なら何でもするというなら自己犠牲でもやってろ、他人に要求するな。彼女等を応援する雨宮処凛さんは結局なんちゃって弱者の見方だったんだなーと失望しました。
震災以降亡くなったのはお年寄りが多く、現役世代の失業や貧困の問題も大きいというのに、とにかく子供が子供がとしか言わないのにも呆れます。怒りを通り越して恐怖を覚える。
そもそも子供に限っても、福島から避難出来なかった子達(これから逃げてももう手遅れ)にこそ真っ先に手厚い援助を訴えるべきでしょう。あるいは強制避難により荷物の準備も碌にできず避難する羽目になった子に。上手い事逃げおおせた子よりも、多く被曝してしまった気の毒な子の事を先に考えるべきでしょう。
自分のお金で自主避難できた、子供達は安全になった。それ以上何を望む事があるって言うんですか。その費用を国や東電に補填しろと要求するのはあまりに自己中で我儘過ぎる。

自主避難者にも等しく金銭的補償をと求めるのは、眼鏡をすれば普通に見える程度の人が全盲の人と同じだけの障害年金を求めるようなものです。より弱い立場にある人々にこそ、より多くの保護を与えるべきでしょう。ちっとも弱者でもない人々が多くを求める事によって、本当の弱者に保護が行き渡らないんじゃないですか。本当に弱っている人ほど、声を上げる元気はなかなか出ないものです。今も福島や宮城で暮らしている親戚や知り合いを知っているからますます一部の自主避難者の贅沢に腹が立つ。
彼女等を左翼と呼びたくはないです。もっとも弱い者、虐げられている者を蔑ろにして、既得権益者のヒステリックな叫び声だけに同調する、そんなの左翼でもないしリベラルでもありません。