『星は歌う』という漫画

世にそれまで面白かったけれど最終回でがっかりさせられた漫画は数あれど、それまではgdgdだったけれど最終回だけは素晴らしくよかった漫画はあまりないと思います。これはその数少ない例。

星は歌う』。花とゆめで連載されていた少女漫画。『フルーツ・バスケット』が大ヒットした高屋奈月の、その次の連載作品。
主人公サクヤと元カノ桜との間でふらふらするヒーロー千広のストーリーがどうにも苦手で、最終回一つ前まではあまり評価していませんでした。サクヤにはユーリの方がいいよーと思いながら見ていました。
が、最終回。その回だけは本当に素晴らしかった!千広を送り出し一人働くサクヤ、その前に現れた桜。桜は言うのです。千広を幸せに出来るのは私だけ、と。その方法は、千広を自分の元から解放する事、彼を自由にする事、それが彼女に使えるたった一つの魔法だと。
桜が切なくて、健気で、真の主人公は桜だったのだと思わずにいられない展開でした。桜可愛いよー。10巻の表紙もいいけれど、最終回で髪を切った姿もいいよー。
思えばフルバを読んでいて、どうにも割り切れない箇所がありました。主人公の母今日子が語る過去話。世界に必要とされなくてもいい、大切に思える人のために生きていく。由希とその後輩真知のエピソードにおいても、ただ一人だけでも認めてくれたらそれで十分というモノローグが語られます。それらは確かに感動的ではありました。
だけどその、大切に思えるただ一人の人を、見付けられない人だっているんじゃないのかと。十代の若い時分にそうそう見付かる人ばかりじゃないし、下手をしたら一生見付けられないかもしれない。そういう人はどう生きていったらいいの?というのに答えを出したのが『星は歌う』という作品なんじゃないかなーと思いました。
そう考えると桜が主人公でなかった事にも意味はあるのかもしれません。物語の主人公という特別な立場になれなくても、恋する人と結ばれなくても、生きていく道はあるんだよという。
桜が勤めている職場がおそらく飲食系で、けして派手でも特殊な仕事でもなかったのもよかったと思います。有能とは言えない人間が、それでも頑張る物語。これをメインテーマとして前面に出すのは花とゆめという雑誌的に難しいからサクヤと星空鑑賞同好会でコーティングしたのかなあと思ったり。