反差別主義者はいわゆる「発達障害」

そもそも「発達障害」なる概念自体が人を差別しレッテルを貼るために作られた疑似科学的概念だと思っていますが。もし発達障害などというものが実在するとして。差別を許せない人、正義感の強い人というのはきっと皆「発達障害」なのだろうなと思います。この世の中は不正義に満ちていますから。そんな現実を「仕方ない」とシニシズムを持って当たり前のように受け入れられるのが定型発達者であり、それにどうしても耐えられない弱い、あるいはまっとうな人間こそが「発達障害者」なのではないでしょうか。
発達障害者認定される人々って結局はただのまともな倫理観と正義感を持った思い遣りのある優しい人に過ぎない事が大半だと思う。
私はいわゆる発達障害者ですが、人を容姿によって選別し扱いを変える事や同じ行動をしても相手によって対応を変える事がどうしても理解できない。当人にはどうにもならない生まれながらの事柄で人を差別するのが許せないと思うし、法や倫理に反した行いを共同体の暗黙の了解として不問に処す事に強い不快感を覚える。
いわゆる「発達障害」の中にも差別主義者はいるとは思うが、反差別主義者は全ていわゆる「発達障害」だとは言えると思う。
世の理不尽に耐えられない、そんな世の中を変えたいと思う正義感を持った人間はけして「定型」では有り得ない。そうした人間に発達障害というレッテルを貼って締め出す社会では差別がなくなる筈もない。定型天国の日本はまさに差別肯定社会。そりゃあ海外にだって差別は沢山あるだろうけれど、ここまで社会全体で差別を積極的に肯定している国も少ないんじゃないだろうか。
基本的人権なんていう発想を考えだし、それを頭から信じられる人間がいわゆる発達障害でない筈がない。逆に言うと定型の場合人権を信じているふりをしていてもその実どこかに差別を肯定する思想が混じる。人権運動なんてものは「発達障害」者でなければ起こせないと思う。